こんばんわコーチの白橋です
前回はスピリチュアルを語る人がどの世界につながっているのかが大事だとお伝えしました
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あなたが良いと思っていた人の話を聞くほど、もしかしたら地獄界へ足を踏み入れているかもしれないという少し怖い話でした今回の話は、なんちゃって目覚めの人についてのお話です
最近
「悟った」とか「目覚めた」とかそういったワードを言う人が増えてきたかなと個人的には思っています
それで、そういった人の話は何かご利益があるとか勘違いをしている人も増えているのではと思っています
そういった話にも注意が必要です
それは・・・
そもそも、スピリチュアル能力を持つ人は先天的に、その能力を持っている人と後天的に身につけた人がいます
先天的な人は本当にその能力があり、それを小さい頃から使っているのだと思います
ただ後天的に目覚めたという人には注意が必要です
「悟った」とか「目覚めた」と言う人ほど人生で苦しい事や不幸があり、それが苦しすぎて救いを求め、それでも救われず精神が破壊された時に急に悟ったような神秘体験をする人がいます
しかし心理的な所でいえば、そういった苦しい精神状態に追い込まれた人ほど現実から逃避する為に逃げ込んだ精神状態が神秘体験だと錯覚する事もあると考えられます
感覚が変わったり、聞こえないものや見えないものが見えたりして神秘体験だと誤解するのですが、それは悟りでも何でもなく幻覚や錯覚だったりする可能性があるのです
またそういった精神が追い込まれた人ほど苦しみから逃れるためにスピリチュアルの本や勉強をたくさんしていて知識はたくさんあるわけです、その知識と体験がミックスして「悟った」「目覚めた」と誤解する可能性があるのです
悟ったからといって、目覚めたからと言って幸せになるとは限りません、そういった事で幸せになっている人はたいてい、それを元にブログを書いたりYoutubeを発信したり本を書いたりして、悟りをビジネスにしている人達です
あるいはビジネスにしてなくても、そういった情報を発信したりする事で、他の人が知らない事を知っている優越感や重要感を満たす為に悟ったかのような、目覚めたかのような情報を発信して自己満足をしている人達です
だからこそ、後天的に目覚めたという人の話は注意しなければなりません
後天的にスピリチュアルな能力を獲得した人の中には鍛錬を重ねて、その延長線上でその能力が実現できている人もいます
しかし、それは結構大変な鍛錬で自分の目や皮膚や内臓やありとあらゆるところに意識を巡らせそれを感じる訓練とか、そういった修行を数年以上かけて出来るようになったり、そしてその能力が獲得できた後も鍛錬を続けたりします
一回の神秘体験で悟ったと勘違いし、その後特に鍛錬もせずに、これまでの本やセミナーで学んだ体験を発信して悟りを自慢している人とはレベルが違うというか、そもそもそういった人はエセスピリチュアルだと個人的には思います
だから、そういった人の語るスピリチュアルに何のご利益も人生を変える力もありません知的な満足は得られても、学べば学ぶほど現実逃避が強くなり人生はずっと不幸のままという事にもなりかねないので注意が必要です